<1>地場産業の街で
A社はある地方都市で縫製工場を営む会社です。この地域は「繊維の街」として全国的に知られていて、古くから絹織物、綿織物の生産が盛んでした。
地場産業としての繊維生産が確立しているなかで、A社は今から50年ほど前に設立されました。周りにはたくさんの縫製工場がすでにありましたが、それでも経営は十分に成り立つほど需要は多かったのです。
ただ、そうした環境だからこそ競争は厳しかったようで、A社は絹や綿だけでなく、毛織物にも対応できる技術を積み重ね、設備投資も惜しまなかったといいます。
<2>成長そして代替わり
その甲斐あって、A社は地域でも抜きんでて成長しました。人も増え、いつしか工場も手狭になり、三つにまで工場を増やしていったそうです。
A社が代替わりしたのは創業約20年頃です。創業者はすでにいい歳になっていましたし、景気も良かったこともあって、息子に譲るには頃合いだろうとの判断がありました。
ところがこの判断が、二代目A社長に思わぬ試練を味わわせることになりました。
代替わりほどなくして、バブルが崩壊したのです。
<3>バブル崩壊
バブル崩壊後も、しばらくは数こそ減ったものの受注は続いていたそうです。しかし、景気の低迷が本格化、長期化してくると様相は一変しました。
これまで縫製をA社に依頼していたアパレルメーカーの多くが、生産拠点を中国をはじめとする海外へ移していったのです。
言うまでもなく生産コストを少しでも抑えるためです。
その動きが活発化するに従って、繊維の街も徐々に賑わいが失われていったそうです。
By tstyle